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ひめちゃん ゆき とのお出かけ日記

                   サイパン、テニアン旅行

2005年8月10日より夏休み家族旅行を兼ねる。

サイパン島より激戦の跡深く残っているテニアン島へ大日本帝国陸軍、大日本帝国海軍陸戦隊などの皇軍将兵の慰霊、長崎、広島への原爆投下機の発進基地となる米軍ハゴイ基地見学、慰霊のため行きました。今日平和な日本の礎になられた皇軍の将兵を思うと、「おかげで平和な日本になりました」と叫ばずにはいられません。 なぜ慰霊かというと、7月25日日記を読んでください。
PDVD_000.jpgフリーダムエアー、ほんとに飛べるのだろうか
PDVD_002.jpgパイロットはおばあちゃん、日本語まったく通じません
PDVD_006.jpgタガ遺跡米軍の爆撃によりほとんど崩壊しています
PDVD_007.jpg皇軍の宿舎蜂の巣になっている。
PDVD_012.jpgエノラゲイの原爆装填庫、広島へ偵察機を装い出撃
PDVD_013.jpg長崎の原爆装填庫、と長崎に投下された原爆写真長崎のもののほうがおおきい
PDVD_009.jpg岩の穴から波が吹き上げる
PDVD_015.jpgテニアンの海、海岸沿いには皇軍の12センチ砲とトーチカがそのまま残っていますそばに長野県の部隊に対する慰霊碑がのこっていました。「戦陣訓」を叩き込まれた皇軍ですから、わずかな人数の守備隊将兵は、物量を誇る米軍の前でも一歩も引かぬことだったと思います今一度英霊に対し哀悼の意を表します。
PDVD_035.jpg海中に没した米軍戦車、こちらは、サイパン島です陸揚げ時の事故だそうです
PDVD_036.jpgマニャガハ島、平和の中丸々太った娘ゆき

サイパン島近海には、今は、ダイビングスポットにもなっているが、零戦(これは、マニャガハ島へ行くときグランドやハファダイのビーチのパワーボートにのったとき、ちょっと頼むといってくれます。)が、ほぼ原形をとどめています。不時着水でしょうから搭乗員は、戦死してないと思います。零戦より少し大きな気がします。戦争末期には、使える航空機をつぎはぎして飛ばしていたそうです3座式の零戦など写真で見たことがあります。もしくは秘密にて紫電改がサイパン防衛に使われていたかもしれません。( 追記 写真を見たらフロート痕がありました。腹を向けているので定かではないですが、零式水偵もしくは弐式水戦ですね。)かなり浅いのでシュノーケルにて十分見れます。B24(これは深いので、シュノーケルでは無理です。機関銃、エンジンなどが散乱していますこれは撃墜機だと思うので、戦死者いると思います。2度目は行きたくないですね)スエヒロ丸(皇軍の兵員輸送船という話ですここも2度と行きたくないですこわいです)などがあります。またグランドのビーチそばには九七式中戦車が海中と海岸にあります。これはむなしすぎて一度も写真とったことがないです。 私の父も、旧帝国陸軍の搭乗員だったので、小さいころよりいろいろな写真見たりはなしを聞いていますので、昔のこととは思えません。父は所沢航空所属なので、一度も、空中戦はやらせてもらえず、敵機来襲時は、いつも熊谷上空待機飛行だったそうです。おかげで私は、この世に生を受けれたわけですが....今でも時々そのときの無念さを、話すことがあります。やはり平和な日本が一番です。 banner2.gif人気blogランキングへクリックお願いします TOPへもどる


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